2010年06月30日

浦和宿 おしまい

さいたま新都心駅は平成12年(2000)に開業したばかりなのでピカピカ
画像
ここで浦和宿を終えて休憩しようと思ったけど、改札がある2階のコンコースはベンチが満席。
日が当たっているベンチしか空いていない〜(涙)。
与野駅東口交差点を過ぎてから歩道を歩く人はあまり見かけなかったのに、どこから人が湧いてきたの?
仕方がないのでエスカレーターを下りると、バスターミナルにベンチとトイレがあるのでありがたいことです。
浦和宿の旅はこれで終わり。

浦和宿→の所要時間 1時間50分(休憩除いた正味時間 1時間40分)
万歩計Rの歩数 8,164歩
喜多さんの歩数 7,070歩
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月29日

浦和宿 その14

お女郎地蔵&火の玉不動の手前が英泉の「浦和宿」に描かれている高台橋だけど、橋は見えません。
左手に高沼(鴻沼)用水路の残骸?が金網越しに見えるだけで、右手は暗渠で高沼遊歩道になっています。
画像
往時この付近は刑場で、明治時代の陸軍が作製した迅速測図を見てもこの周辺には家はなく、ずいぶん寂しい場所だったのに、今や東京のベッドタウンと化してピカピカの街並み。
農業に適さない台地を潤した農業用水路も不要なものとなって、人知れず消えてしまうんですね。
ずっとこの地を見守ってきたお地蔵さまもお不動さまも、劇的な変わりようにビックリしていることでしょ。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月28日

浦和宿 その13

埼玉国体の際に植えられたケヤキ並木を過ぎると歩道にぐゎっ!
画像
天保6年(1835)製のお女郎地蔵&寛政12年(1800)製の火の玉不動がツーショット。
新しくできたばかりのビル街で、お地蔵さまもお不動さまも、江戸時代からタイムスリップしてきたみたい。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月22日

浦和宿 その12

スクランブルの与野駅東口交差点にデッカいケヤキ。
画像
一里塚と一里塚との間にある半里塚跡ということで、この付近が六国見(ろっこくみ)の立場です。
富士山・浅間山など、六ヶ国の山々が見える名所で、やっとおらの浮世絵ポイント@浦和宿!
「くたびれた奴が見つける一里塚」と川柳にあるくらいなので、立場で休む旅人の客数を伸ばすために、一里塚もどきを造ったのかな?与野駅東口交差点を過ぎると民家が減って、ビルがデーン!と建っています。
江戸時代の風景を想像しながら歩いているのに、近未来都市を歩いているみたい。
県道159号をくぐると、昭和42年(1967)埼玉国体の際に植えられたケヤキ並木が続き、大宮区となります。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月21日

浦和宿 その11

大原陸橋東交差点に正徳4年(1714)製の庚申塔があります。
道路に挟まれた狭い三角地帯にひっそりと建っているけど、屋根が付いて大事にされています。
画像
ここが中山道のアイドル:てっしー(勅使川原郁恵)の浮世絵ポイント@大宮宿だけど、おらの浮世絵ポイント@浦和宿がまだこれからなんだけど…。
しかも、おらの浮世絵ポイント@大宮宿はまだまだこの先で、大宮宿のはずれだよ〜ん。
う〜む、2宿連続でてっしーと同じ場所じゃないのが残念。しばらくすると一本杉の標石がポツン。
仇討ちがあった場所だけど、石碑が車道に向いているし、目立たないので通り過ぎてしまいそう…。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月19日

浦和宿 その10

北浦和駅を過ぎると廓信寺(かくしんじ)。
画像
案内板によると、北浦和(旧木崎村針ヶ谷)はサツマイモの女王紅赤の発祥地で、明治31年(1898)山田いちによって発見されました。
なるほど、立派な三門(仁王門)が赤いのは、サツマイモの色に合わせているんだね。
三門に安置されている木造金剛力士立像は元和2年(1616)に建立されたもので、市指定有形文化財。
本尊の県指定有形文化財木造阿弥陀如来坐像など、文化財がいっぱいあります。
ベンチがあるので、市指定天然記念物のカヤを眺めながら10分休憩。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月18日

浦和宿 その09

鉄道模型屋トレインショップの踏切信号を横目に浦和橋。
画像
浦和橋付近が浦和一里塚跡だそうで、前回立ち寄った辻一里塚から地図で計測すると、浦和橋の手前になります。
橋を渡ると歩道が復活して、車を気にしないで安心して歩けます。
迅速測図ではこの付近が並木になっているので、きっと松並木だったと思うけど、今は松の代わりにビルやマンションが建ち並んでいます。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月16日

浦和宿 その08

慈恵稲荷の市場跡とは別に、おらのお目当ては参道の奥に鎮座。
太いイチョウのご神木ではなく、社殿の入口にたたずむ庚申道標です。
画像
天保13年(1842)製の庚申塔で、右面に「富士山/大山/引又(ひきまた〜現在の志木市) 道」と刻まれています。
ということは、ここが「府中通り大山道」の追分?
う〜む、こんな奥まった場所に置かれても道標として役に立っていないので、別の場所から移されたんでしょうね。

さいたま市教育委員会に問い合わせたら、大山道の道筋は比定しておらず、道標の場所ついても分からないと素っ気ない。
う〜む、おらは今日のスタート地点:浦和駅西口交差点が大山道の追分と思います。
資料の①『中山道分間延絵図』&②明治時代の迅速測図を見ると、浦和駅西口交差点の道は①「野道 是ヨリ引又町江出ル」&②里道で「引又道」と記載があるけど、慈恵稲荷右側の路地は①野道&②小径で「引又道」とはすんなりとつながらない。
そんなわけで、慈恵稲荷の庚申道標は、元々「引又道」の追分(浦和駅西口交差点)にあったと考えます。
しかし、浦和駅西口交差点からだと調神社の方が近いのに、何で?わざわざ遠い慈恵稲荷に移動させているのかは
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月15日

浦和宿 その07

マンションが途切れると慈恵稲荷神社。
画像
境内が市指定史跡浦和宿二・七市場跡で、市が2と7の付く日=月6回開かれたため、六斎市とも呼ばれました。
歴史は古く、戦国時代に開かれたそうで、天正18年(1590)喧嘩口論などを禁じた禁制が「浦和市(いち)」に出されています。
さっきの野菜売りの農婦像はここに置かれていればマッチしているのにね〜。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿

2010年06月10日

浦和宿 その06

常盤公園は徳川家の御殿跡です。
特に見るものはないけど、公園の中央にあるキャラがほとんど枯れていて、気の毒な状態。
画像
市指定天然記念物なんだけど…。公園を出たらまたイモ持ったオバ…ってゆーか、こちらにも野菜売りの農婦像があり、今度は手に大根を持っています。
しかも、さっきの農婦像にはカボチャが置かれていたけど、こちらにはハクサイが置かれ、芸が細かい。
こういったノリがおらは好き。
posted by とらぞう | Comment(0) | TrackBack(0) | 03浦和宿
Powered by さくらのブログ
Copyright (C) ブログ 1日中、山道。, All Rights Reserved.