2011年10月20日

熊谷宿 再訪3/3

元荒川の源流大雷(おおいかづち)神社です。
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2基の鳥居&祠の社殿でひっそり。
神社の前にはもう池はなく、元荒川の源流はドブ川と化しています。
しかし元荒川って、寛永6年(1629)伊奈忠治が荒川の瀬替えを行う前は「現荒川」で、荒ぶる川だったはずなのに、こんなチョロチョロした小川?
ずいぶん大掛かりな土木工事だったと思うけど、当時の堤防や瀬替えの遺構は見当たりません。

気になったので、荒川の瀬替え(荒川の西遷)について調べてみました。
荒川は県境の甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)が源流で、秩父山地の谷を刻み、寄居町から荒川扇状地となります。
ここから荒川は乱流して、古代は籠原付近を通り利根川に流入、中世は石原付近を通り熊谷宿の北を抜けて元荒川に流れていました。
近世になって瀬替えが行われ、伊奈忠治が石原・久下で荒川の流路を締め切り、熊谷宿の南を流れる和田吉野川の流路に付け替えられました。
こうして旧和田吉野川が荒川となり、久下以南の旧荒川が元荒川となりました。

熊谷直実の時代の熊谷は旧荒川と和田吉野川に挟まれて、中州のような地形だったというのでビックリ!(◎o◎)
国土地理院の地形図を見ても、もはやそんな面影は見られません。
しかし、石原って地名が“石の原っぱ=河原”なので、地図や風景からでは分からなくなっても、地名が記憶しているんですね。今まで大雷神社付近が瀬替えの現場と思っていたら、同じ久下でも、もっと下流でした。
大雷神社の池から流れていたのは瀬替え以前の荒川の“支流”の1つで、河道が付け替えられ、元荒川となってから“本流”に昇格したんですね。

しかし、思いがけず熊谷宿にハマってしまって、日記が長尺になってしまいました。
これまで1宿歩くのに半日だったのが、距離の関係で熊谷宿が1日がかりだったこともあるし。
初めて訪れた熊谷宿だけど、その分かなり詳しくなりました。
しかし、さすがにこれ以上のことは地元の方にお任せします。(^_^;
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2011年10月19日

熊谷宿 再訪2/3

せっかく熊谷宿を再訪したので、本番の時に寄れなかった大雷(おおいかづち)神社にも訪れることに。
『中山道分間延絵図』では神社の前に池があり、元荒川水元となっているので興味津々。
あれ?大雷神社に向かう途中、熊久橋の1つ上流の橋に「値うちある元荒川起点の碑」元荒川起点碑なんてある!
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へぇ、河川って源流とは別に起点ってのがあるんですね。
知らなかった。(◎o◎)
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2011年10月14日

熊谷宿 再訪1/3

あれから久下(くげ)権八公園の道標が気になって、「倒れた道標をそのままにしてあるのは、現状保存が原則で、地域の文化財の保存はその地域の住民に任せる、というようなルールがあるの?」という旨を熊谷市教育委員会に問い合わせると、「当方もその重要性を踏まえて発掘を行い、公園内に立て直しを行った」という旨の回答を写真付きでいただきました。
YATTA!\(^o^)/
ということで、再訪しました。
倒れていた塞神(さえのかみ)道標が熊谷堤碑の横に台座付きでっているので感激!
\(^-^)/
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人知れず埋もれていた文化財が日の目を浴びてヨカッタよかった。
メデタシめでたし。

久下のみなさ〜ん。
久下権八公園の塞神道標は、平成23年(2011)1月に立て直されました。
この機会に地域の文化財として大事にしてやってくださいね〜。
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2011年10月12日

熊谷宿 おしまい

中山道深谷宿お休み処FUKADECKにベンチがある!
もうヘロヘロなので休みたいところだけど、もうすぐ終点なのでスルー…ってゆーか、寄る予定だった三光院・深谷城跡・富士浅間神社をパスして、18:10仲町交差点で本日の旅は終わり。
ふぅ。
約5km(寄り道入れて8km)追加しただけで、今まで歩いた歩数の多さで歴代4位となりました。
ふぃ〜。
深谷宿(中央通り)がレトロな感じでイイと思ったら、レンガ造りの深谷駅舎もイイね〜。
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熊谷宿→の所要時間 9時間20分(休憩除いた正味時間 7時間55分)
万歩計Rの歩数 36,683歩
喜多さんの歩数 35,567歩
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2011年10月07日

熊谷宿 その39

右手に市指定文化財旧深谷宿常夜燈があります。
この常夜燈は明治期のものです。
まだ熊谷宿の巻なのに、とうとう深谷宿になっちゃった。(^_^;

名前のない交差点を右折すると東源寺。
山門の脇に市指定史跡菊図坊祖英(きくとぼうそえい)塚があります。
旧道(中央通り)に戻ると昭和な雰囲気がしてイイね〜。
行人橋碑を横目にレンガの卯建(うだつ)が立派な塚本燃料屋。
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元は菓子屋だったけど燃料屋に転業して、この店舗は大正元年(1912)に建てられたものです。

ところで、東方一里塚から地図で計測すると、塚本燃料屋の手前:本住町交差点の辺りが深谷一里塚跡です。
しかし、『中山道分間延絵図』には深谷一里塚は載っていません。
何故だー???
宿場の中で目印が不要となり、取り壊されちゃったのかな?
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2011年10月06日

熊谷宿 その38

イチョウに混じって若い松が並んでいます。
深谷市中山道ふるさとの並木道で、この付近は明治の迅速測図でも並木になっています。
あ!原郷交差点でR17を横断するんだけど、また歩道橋がある!と思ったら、今度はちゃんと横断歩道もあります。
イイ事だ。
しかし、さんざん文句言っていたのに、今回は歩道橋を利用します。(^_^;
だって、歩道橋の上で見返ると、見返りの松…ってゆーか、松がっちゃい…。
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残念ながら枯れてしまって、平成18年(2006)に伐採されました。
現在の2代目の松は、NHK「街道てくてく旅」で中山道を踏破したてっしー(勅使川原郁恵)が深谷宿を歩いた時に、植えられていた松ですね。
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2011年09月30日

熊谷宿 その37

熊野大神社から旧道に戻ると歩道ができてイチョウ並木。
左手に鳥居があるけど社殿や祠のない石仏群があります。
これは何?
この付近に国済寺があるんだけど、旧道に面していないのでよく分からない。
庭掃除しているおじさんに道を尋ねて、近道だという路地を進む。

国済寺は掃除が行き届いて境内がキレイ。
康応2年(1390)この場所に庁鼻和(こばなわ)城を築いた深谷上杉氏の祖:上杉憲英によって開創されました。
市指定文化財の黒門&三門がイイ味出しているね〜。
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境内奥には応永11年(1404)に没した県指定旧跡の上杉憲英墓をはじめ、深谷上杉氏一族の墓がズラーッと並んでいます。
さらに奥には庁鼻和城の土塁が残っています。
国済寺左手の日吉大神荒神社に見学してから旧道に戻る。
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2011年09月29日

熊谷宿 その36

東方町2丁目交差点を過ぎると郷社熊野大神社の一の鳥居があります。
元は式内社の白髪(しらかみ)神社だそうです。
午前中に寄った久下(くげ)神社が元飯玉権現だったり、鴻巣宿の鴻(こう)神社が元竹ノ森雷電社→鴻三社だったり、社号どころか神さままで変わるので神社って難しいね〜。(^_^;
長い参道を進むと、天正年間(1573〜92)に建立されたという本殿の彫刻が素晴らしい。
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市指定文化財です。八木橋百貨店で買った十万石をお八つに10分休憩。
広告の通り美味しい。
喜多さんと1個ずつ買ったけど、こんなに美味しいなら箱買いしてもヨカッタ。
25分の寄り道です。
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2011年09月28日

熊谷宿 その35

南側(左側)も深谷市となり、鳥居がドミノのように建っている鬼林稲荷神社を横目に用水路。
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この辺りが石橋の立場で、名物がドジョウ汁だったそうです。
今でも用水路にはどじょっこだ〜の、ふなっこだ〜の、いるべなか?
石柱が建っているけど、何のための石杭なのか分かりません。

あ!バス停が「東方(ひがしがた)鈴木屋」となっています。
古い商店が鈴木屋と思うけど、立場に近いので昔は茶屋だったのかな?
お!今度はバス停が「東方新井屋」。
お肉屋さんが新井屋かな?
バス停名になるくらいなので老舗なのかな?
籠原の立場の頃は元気だったけど、もう疲れてきたみたいで、訪ねる元気がない…。(^_^;
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2011年09月26日

熊谷宿 その34

県道に歩道ができたのでホッとしていたら、新堀北交差点から歩道なくなり、また路側帯歩き…ガクッ。
県道264号は車の交通量が多いので緊張します。
この付近だけ南側(左側)が熊谷市(新堀)、北側(右側)が深谷市(東方(ひがしがた))となっていて、市境が入り組んでいます。熊谷市側に立派なエノキ。
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向かいの深谷市側には馬頭観音ほか、3基の石仏群があります。
『中山道分間延絵図』によると、「東方村の一里塚跡にある馬頭観音」と書いてあるので、これって東方一里塚跡じゃないの?
エノキの根元を見ると、少しだけ土が盛り上がっているし。
地図上で1つ前の新島一里塚からの距離を計測すると約4kmだし。

ということで、また熊谷市教育委員会に問い合わせてみました。
ご親切に調査してくれて、やはり東方一里塚跡だそうです。
YATTA!\(^o^)/
往時の塚は一度平らにされたそうで、その後地元の方が塚の名残を留めるために土盛りをしたとのことです。
標柱も案内板もないので、ぜひ案内板を設置してほしいね〜。\(^-^)/
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