2012年04月25日

深谷宿 おしまい

牧西(もくさい)の集落を抜けると左カーブに子育地蔵と石仏群があります。
旧道はしばらくするとほとんど直角に左カーブします。
その角に傍示堂集落センターがあり、2基の祠が鎮座しています。
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左は八坂神社で右が古峯神社。
傍示堂って地名にもなっているくらいなので、立派なお堂が建っているのかと思っていたけど、祠だけの神社しかありません。
ここから西に延びる路地は五料宿・前橋宿などを通り、越後国へ達する三国街道。
この中山道との追分に橋端の立場がありました。
堀田の立場からここまで、qほどの距離に立場が3ヶ所もある。

新泉橋を渡って、13:55六助うどん(傍示堂575)茶屋で遅い昼食です。
謎の?傍示堂を終点にすればイイのに、食事処で深谷宿の旅は終わり。
あ〜、腹減った。(^_^;

深谷宿→の所要時間 4時間10分(休憩除いた正味時間 3時間40分)
万歩計Rの歩数 18,075歩
喜多さんの歩数 17,500歩
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2012年04月24日

深谷宿 その24

八幡大神社・宝珠寺を過ぎると牧西(もくさい)の立場。
壁が剥がれ落ちた長屋門や、その向かいに郵便局があるので、この付近なのかな?
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十返舎一九が『諸国道中金の草鞋(わらじ)』で「もくさいといふたてば、きれいなるちゃやあり、したくするによし」と褒めているので、人気のある立場だったんでしょうね。
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2012年04月23日

深谷宿 その23

牧西(もくさい)の集落に入ると左手に八幡大神社があります。
案内板に「建久年間(1195)に児玉党の一族・牧西四郎広末が(中略)相州鎌倉鶴岡八幡宮を奉遷して当所に祭った…」とあります。
しかし、1195年と具体的な西暦を書いているのに、「年間」って…。
やはり、ここは「建久6年」とするべきでしょ。
そして、牧西広末は牧西弘季のことだけど、案内板を業者に発注する時に、原稿の段階で「弘季(ひろすえ)」を広末と誤変換したんでしょうね。
最後に、「奉遷」だと祭神が引っ越してきたみたいなので、分祀 or 分霊、あるいは勧請のほうがイイと思います。
この案内板っていったい…。
これはホントだと思うけど、当社奉納の金鑚(かなさな)神楽宮崎組が市指定無形文化財となっています。

向かいは宝珠寺で、参道の並木が美しい。
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赤い仁王門が立派。
仁王門と明和6年(1769)製の仁王尊像は最近解体修復工事をしたそうで、結構キレイ。
境内に郷土かるた:ほんじょうかるたの石碑が建ち、「野の花をにらむ宝珠寺仁王様」と刻まれています。
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2012年04月19日

深谷宿 その22

堀田の集落を抜けると今度は畑の中を進みます。
車道が右カーブするけど、真っ直ぐ進む廃道?に「この先通り抜けできません 本庄市」の標識。
通り抜けできない方でイイのかな?と悩んでいたら、ガードレールの足下にまた手作りの「中山道」標識。
ありがたいことです。

廃道?を真っ直ぐ進むと、この先は通行止めのようで、迂回路を進むように標識があります。
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何も考えずに迂回して、県道45号をくぐって階段を上ります。
旧道に復帰すると、ひっそりと嘉永5年(1852)製の無縁供養塔。
中山道を振り返ると県道の柵が途切れています。
う〜む、車の交通量が少ないことを考えると、迂回しない方がヨカッタ…ガクッ。
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2012年04月13日

深谷宿 その21

滝岡橋を渡ると本庄市となり、左折して土手を進みます。
送電線の鉄塔がやたら多くて、初めて見るような高い鉄塔があります。
土手から下りると旧道に復帰して、堀田の集落。
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小山川を渡ったところに堀田の立場があったので、この付近なんでしょうね。
車道と合流するところに中山道と書かれた緑色の手作り標識が立っています。
ありがたいことです。
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2012年04月06日

深谷宿 その20

旧道はR17(深谷バイパス)から消滅。
田んぼの中を進み、小山川を渡ります。
元々の旧道は小山川の手前で左に折れ、針ヶ谷排水路を渡ってから小山川を渡るんだけど、今はムリなので、昭和3年(1928)に小山川に架けられた滝岡橋を渡る。
滝岡橋は国登録有形文化財で、記念碑として橋のたもとにふる里の橋顕彰碑が建っています。
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親柱&欄干は花崗岩で、橋台は煉瓦造り。
なかなか趣があるね〜。
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2012年03月30日

深谷宿 その19

馬頭観音のある二叉に戻ります。
二叉といっても左の道が旧道で、旧道らしく真っ直ぐなんだけど、2つめの丁字路で右折。
旧道って基本的に真っ直ぐなのに、宿場でも城下町でもないこの場所で、唐突に右折して迷子になりそう。
しかし、民家のブロック塀に「百庚申100m中山道」という標識があるので、ありがたいことです。
右折する手前が高札場跡。

坂の途中に八坂神社&市指定史跡百庚申。
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百庚申は万延元年(1860)の庚申の年から2年かけて、旧岡村の有志13人によって建立されたものです。
万延元年は桜田門外の変が起きた年で、黒船来航から明治維新まで国内がてんやわんやの大騒ぎだった時代。
国内情勢が不安で、神仏に頼りたい気持ちが大。
今の日本も将来が不安なので、気持ち分かるな〜。
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2012年03月26日

深谷宿 その18

K259を横切るとセンターラインがなくなって一段と旧道らしくなります。
二叉。
又の所に馬頭観音があります。
ありゃ、お目当ての神社に寄り損なっちゃった。(^_^;
その前に丸屋商店屋の自販機でPET飲料を購入。

二叉手前の丁字路を曲がるはずだったのに、二叉横の路地に入って、お目当ての岡廼宮(おかのみや)神社へ。
途中2月に建ったばかりの武州榛澤郡黒田藩岡村陣屋畧景の石標があります。
さっき岡部藩陣屋跡に寄ったけど、こんな近くに別の藩がある。
裏口から岡廼宮神社に入ると、本殿の彫刻が立派
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さっきの島護産泰神社のように、岡下(おかしも)屋台囃子・岡の獅子舞が市指定無形民俗文化財となっています。
10分休憩。
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2012年03月23日

深谷宿 その17

岡下(おかしも)一里塚跡を過ぎると島護産泰(しまもりさんたい)神社。
社号の「島護」とは、深谷市北部にある南西島・北西島・大塚島・内ヶ島・高島・矢島・血洗島・伊勢島など、の地名をもつ地域から川の氾濫から護ること。
「産泰」とは安産のことで、祭神の瓊々杵尊(ににぎのみこと)♥
木之花咲夜姫命(このはなのさくやびめのみこと(木花咲耶姫))は夫婦神です。
う〜む、木花咲耶姫といえば浅間(せんげん)神社の祭神なので、島護産泰神社って元は浅間神社で、ここから富士山が見えるのかな?
フツー社殿には扁額が掲げられているけど、こちらでは絵馬が掲げられているので珍しい。
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春・夏・秋のそれぞれに奉納される岡の里神楽・岡下屋台囃子・岡の獅子舞が深谷市の無形民俗文化財に指定されています。
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2012年03月19日

深谷宿 その16

秩父に本社がある寶登山(ほどさん)神社を横目に右に旧道。
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旧道がR17と分かれる手前に風張の立場がありました。
明治天皇が源勝院で休憩しているくらいなので、この立場はあまり流行っていなかったのかな?

又の所に大きな木が立っているので一里塚の跡か?と思ったら、もう少し先で、小川と島護産泰神社の間が岡下(おかしも)一里塚跡です。
しかし、遺構も案内板もありません。
『中山道分間延絵図』をよく見たら、この一里塚にはが植えられていたそうで、そんな珍しい一里塚なら見てみたかったな〜。
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