2014年03月16日

倉賀野宿 おしまい

上越新幹線の高架をくぐると、車のライトが点灯している!
上信電鉄線の踏切は「踏切番号1」となっているけど、「中仙道」ってな手書きの札が掛かっています。
中山道の標柱は宿場の距離がなくなって、「高崎宿」だけになっているので、もう高崎宿。
レトロな雰囲気の街並みがイイ感じ。
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(和田町辺りの風景)
てくてく歩いて、17:55新田町交差点で今日の旅を終える。
ホントは次のあら町交差点で終えて、頼政神社・高崎城跡・豊田屋旅館を見学したかったけど、もう時間切れ。
ちょうど高崎駅18:15発の湘南新宿ラインがあるので、これに乗って帰ろう。
走れ!走れ!(^-^;

倉賀野宿→の所要時間 5時間05分(休憩除いた正味時間 3時間45分)
万歩計Rの歩数 16,195歩
喜多さんの歩数 15,976歩
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2014年03月15日

倉賀野宿 その22

高崎粕沢橋郵便局付近が粕沢の立場跡だけど、もう薄暗くなっているので、てくてくてくてく。
R17の高架をくぐった辺りが新田の立場跡だけど、薄暗いので、てくてくてくてく…と言いながら、新後閑町(しごかまち)交差点の手前で寄り道。
古ぼけた看板がイイ味出してる宮川博商店屋角の路地を入ります。
琴平神社の参道で、五叉路に子育地蔵堂。
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お堂に秩父道藤岡道道標が置かれています。
元は中山道にあったもので、「これよりみぎ ちゝぶみち/ふぢおかみち」と刻まれています。
お堂の前の道が秩父道&藤岡道で、南下すると佐野の渡し跡に出ます。
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2014年03月08日

倉賀野宿 その21

左にモッコリとした森が近づいてきます。
国指定史跡浅間山古墳で、群馬県内では太田市の天神山古墳に次いで、番目の大きさの前方後円墳です。
4世紀後半に造られたそうなので、かなり古い。
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安楽寺にも古墳があったけど、この付近には古墳が多い。
この地は古代から暮らしやすかったということなんだね。
しかし、どこに案内板があるのかな?
探すのはあきらめて、ガスト茶屋のPで古墳を撮影。
あとは脇目もふらず、てくてくてくてく。
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2014年03月02日

倉賀野宿 その20

もう日差しが寂しくなってきました。
今日の日の入りは17:49なので、急がなくちゃ。
上町西交差点を過ぎた辺りが倉賀野一里塚跡だけど、何もありません。
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一里塚を過ぎると往時は杉並木で、迅速測図でも並木になっています。
K121拡張のため片側だけになって、その後枯れたため、伐採して新しく松を植えたそうです。
中山道では一応初めての松並木なので、立派な松並木に育ってほしいね〜。
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2014年02月23日

倉賀野宿 その19

倉賀野神社を過ぎると名前のない交差点が上の木戸跡。
そして、安楽寺です。
境内に入るとまずは異形板碑。
南北朝以降に造られたもので、市指定史跡です。
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境内の奥には県指定史跡安楽寺古墳。
7世紀末頃に造られた円墳で、墳丘に本堂がい込んでいます。(◎o◎)
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石室には鎌倉時代に彫られた仏像が7体あり、七仏薬師と呼ばれ、当山の本尊となっています。
秘仏だけど、12年に一度、巳年に開帳しているそうで、次のご開帳は平成25年(2013)。
帰り際、寺の人に呼び止められ、七仏薬師の写真があるというので、見せていただきました。
そんなこんなで、安楽寺でも20分滞在しちゃった…。(^-^;
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2014年02月16日

倉賀野宿 その18

丁字路に倉賀野神社の石標があります。
お参りすると、拝殿に「倉賀野神社」&「飯玉大明神」2枚の扁額が並んでいます。
往時は飯玉大明神だったのが、明治10年(1877)に大国魂神社と改称し、明治43年(1910)に近隣の数社を合祀して倉賀野神社と改称しました。
当社の歴史は古く、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征凱旋の途中に造営舞楽を奏上したそうで、その故事に由来する翁面が社宝となっています。
田村麻呂は東海道ではたびたび登場していたけど、中山道では初めて。
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13年かけて慶応2年(1866)に完成した倉賀野神社本殿の彫刻は見事で市指定文化財。
大工の日記によると、本殿造営中の文久元年(1861)11月に和宮の行列が倉賀野宿を通るため、3日間工事が休みになったそう。
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もう16時を過ぎていたので御朱印はあきらめていたけど、宮司さんが草むしりをしていたので、いただけました。\(^-^)/
さらに路地を奥に入った雁児童公園に倉賀野城跡があるんだけど、時間が押しているのでパス。
倉賀野神社で20分も滞在したので…。(^-^;
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2014年01月26日

倉賀野宿 その17

2階建てで卯建のある格子戸の民家が脇本陣跡。
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河岸問屋も営んだ須賀喜太郎脇本陣で、明治前半の建物です。
3軒目のたかさき都市景観賞。
はす向かいの洋風の民家も脇本陣跡で、須賀庄兵衛脇本陣。
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須賀喜太郎脇本陣跡の並びに高札場跡。
往時は高札場から天王社を挟んで上町の問屋場があったけど、残念ながら、上町御伝馬人馬継立場跡ってな碑はありません。
中町問屋場跡だけじゃなく、倉賀野宿にはぜひ下町・中町・上町の継立場跡碑をえてほしいな。
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2014年01月25日

倉賀野宿 その16

倉賀野駅入口交差点の倉賀野仲町山車倉前に中町御伝馬人馬継立場跡。
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漢字ばかりで何だろう?と思ったら、中町問屋場(といやば)跡です。
倉賀野宿は、問屋場が下町・中町・上町に1軒ずつ、計3軒もあって、それぞれ10日交代で問屋を務めていました。
もう過ぎちゃったけど、下町の継立場跡碑ってあったのかな?
気がつかなかった。
中町の継立場跡碑は旧道の左側にあるけど、『中山道分間延絵図』では問屋場は右側にあります。
右側は交差点で道路があるので、碑が建てられなかったんでしょうね。
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2014年01月19日

倉賀野宿 その15

ベイシアマート屋の駐車場に、ポツンと本陣跡。
勅使河原本陣の跡で、ベイシアの敷地=本陣の敷地なんだろうな〜。
広〜い。
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さっき通り過ぎた中町交差点を左折して、共栄橋のたもとに河岸跡碑があると言ったけど、ホントはベイシアの角にある路地が河岸場の入口。
往時は八幡宮の鳥居が建ち、井戸八幡宮の前を通る道が中山道と河岸場を結ぶ道でした。
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2014年01月11日

倉賀野宿 その14

2軒目となるたかさき都市景観賞の大山邸。
今度の大山邸は、さすが“倉”賀野らしく?蔵のような造りです。
左側の壁がなまこ壁になっています。
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中町交差点に倉賀野町道路元標。
この交差点を左折すると、共栄橋のたもとに倉賀野河岸跡碑があるんだけど、距離が離れているみたい。
残念ながら、時間が押しているのでパス。
倉賀野は宿場と河岸場が一体となってえた宿場なんだけど…。(>_<)
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